karashi39とはいったい

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「合法的にJKを楽しむ」問題

ことのおこり

インターネットの海をさまよっていたら、こんな話がなされていた。

合法的にJKを楽しむには、高校3年の時に高校1年の彼女を作るのがベストではないか?

なに言ってんだこいつ?って思ったのだけど、察するに、

  • 高校を出てしまったら、JKには手を出してはいけない
  • しかし、過去からの関係を継続するのは、問題がない
  • また、高校生同士の恋愛は許されている

という事を、この投稿者は考えているようだ。

ベストアンサー

正解になるのかはわからないが、僕の出した答えは

その方式がOKなのであれば、小学6年の時に小学1年の彼女を作るのがベスト

というものだ。全部、ルールまもってるでしょ?

一点、ずるいと言うか、拡大解釈しているのは、 高校生同士の恋愛が許されているならば、当然 小学生同士の恋愛も許されていることになるであろう、とした事だ。まあ、そのような前提も僕が勝手に察したものなので、これくらいの拡大解釈は良いだろう。

予想される反論を考える

基本的に、他人の意見を否定したり、多少改変したりするような事を口にするときは、予想される反論を考えておくべきだ。それをしないで口を開く事を許してしまえば、世紀末世界が訪れるだろう。するとまもなく、汚物たる僕らは、消毒されてしまう。

予想されたのは拡大解釈して小学生同士の恋愛としたところにある。要するに「予想される反論」とは、小学6年生の男子が、小学1年生の彼女を作ることは、無理があるのではないか?ということだ。

予想される反論への反論

予想される反論への反論は、自分がすべき反論だ。この、反論への反論をしなくて済むかどうかが、相手が会話に値する人物かどうかを見極める重要な鍵になる。

まず前提として、そんなの人それぞれである、という話がある。厳重に注意しておくが、これはあくまで前提であって、結論ではない。人それぞれなどといった当たり前のことを結論として披露して鼻を高くしているやつは、自分の知能が猿に毛が生えた程度である*1ことを自慢しているに過ぎない。とにかく、人それぞれ、という前提は常に存在している。

その前提を踏まえても、小学6年生の男子が、小学1年生の彼女を作るということは、不可能寄りの作戦ではないだろうか。その点には、僕も同意する。人それぞれとは言っても、例えばここに小学6年生の男子を10000人用意したとして、それを実行可能な人数は、1に満たないだろう。0.005人とか、そういう数、つまり小数だ。ほぼ無理だ。将来、合法的にJKを楽しむためである、という動機を理解してもらった上でだとしても、だ。

しかし、ちょっとまってくれ。その反論は 抽象度が違う 。勝手な都合で自在に話題の抽象度を変更することは、許されてはならない。

そもそもの問題提起の時点で、暗黙のうちに無視することに取り決めた抽象度の反論がある。それは、 合法的にJKを楽しむと言うような目的で、高校3年生が高校1年生の彼女を作る、と言うことは、人それぞれという前提はあっても、現実にはほぼ不可能だろう ということだ。

高校時代を思い出して欲しい。彼女は、ある程度普通にしていれば、まあまあ誰でも作れそうなものだ。しかし、合法的にJKを楽しむために、誰かを好きになって付き合うのではなく、年齢重視で高校1年生の女子を落とす、というようなことは、難しい。女子からしても、そのような男子は気持ちが悪いので付き合いたくない。そして、それが可能なイケメンの存在について、先ほどの数字の話を思い出して欲しい。同じ土俵で比べるなら、こちらも現実にはほぼ不可能という扱いになるのだ。

とにかく、そのレベルの具体性の反論は無視する、という約束の上で、このような話をしているのだ。僕の出した「ザ・小学生大作戦」に対してだけ、現実にはほぼ不可能 というような抽象度の反論を持ち出すことはできない。それをすれば、話の根本が破綻する。

抽象度という言葉

これは、僕が勝手に使っている言葉だ。既存の言葉で、名前空間的に衝突しそうなモノがあるかどうかは知らない。そのことを無視すれば、とても適切な表現だと、自分では思っている。抽象度は、具体度と言っても差し支えない。ただし、逆数の関係ではある。具体的抽象的の逆の言葉だからだ。熱いの逆が冷たいのと同じだ。

抽象度が高いということは、逆に言えばものすごく具体性が低いということだ。全人類に当てはまるような話ということになる。抽象度を低くすれば、具体度は高いということであり、ものすごく具体的な、特定個人においての話になったりする。

このことが理解できたならば、いちいち「人それぞれ」などという話を持ち出すのも馬鹿げていることがわかるだろう。人それぞれということはつまり、最大限具体的、つまり個人のケースに当てはめなければわからないということだ。具体度が最高レベルということは、抽象度は最低レベルということだ。ほとんどの場合において、はじめから、極端すぎて検討が不可能であろう最低抽象度の議論は除外したレベルで会話をしているのである。

そして、勝手に抽象度を変えたら、話は根本から破綻してしまう。抽象度を変えたら、それまでの段積みの道中で暗黙に無視したものを復活させなければならなくなるし、問題提起にすら暗黙の無視が含まれているのだから、この話はなかったことになる。

このような意味不明で堅苦しい説明が理解できなくても、それこそ高校生くらいなら肌感で理解できる話だ。人それぞれで話を終わらして悦に入ってるやつは、この会話において自分が何も役に立っていないことすら理解できていない愚か者なのだ。人それぞれなんて言われたら、そもそも話をする必要がないじゃないか。

ところで

話題を持ち出した本人である、かの投稿者は、こんなわけのわからんことは一切口にせず、

それだ!!!!

と嬉しそうにしていた。どうやら、この作戦に則れば5歳も年下のJKを合法的に楽しむことができることに気がつき、明るい未来を想像して、とても幸せな気持ちになった様子であった。

ところで、 JKを楽しむ というのはどういう事なのであろうか?このこともまた違った抽象度の話なので、突っ込まないでおく。

しかし同時に、なんだか不穏な気配も感じた。その内容を抽象的に説明するとしたら、なんらかの非合法行為が発覚した際に、僕のベストアンサーを、その行為が合法であるとの主張に利用されかねない、ということだ。それはなんだか後味が悪いので、仕方がないから、

ナイスなアイディアだろう。手遅れである点を除けばな。

という、抽象度を勝手に変更した卑怯な補足をしておいた。話者の年齢がいくつかであるかは本来、この会話では無視すべき、別の抽象度の問題である。

今日のダジャレ

円光とは、援助交際の隠語ではない。たんに、名探偵コナンの登場人物の名称、円谷光彦、を省略したものだ。

ダジャレになるかどうかは怪しいところだが...


*1:なお、猿には毛が生えている