karashi39とはいったい

夢と希望と明日と正義を讃える

敬語でもタメ語でも別にどっちでもいいんだぞ

幅広い年齢の人と付き合いがあり、特に言葉遣いについて、年下の子はものすごく気を使っているんじゃないかなと思った。*1

年下だろうが年上だろうが、友達だったらタメ語で接してもらった方が楽ではある、しかし敬語には敬語の良さがあるので、どっちでもいいぞ、という話を書きます。

また、先に断っておくけども、仕事の関係だったら、年上だろうが年下だろうが、絶対敬語の方が良いと思うぞ。*2

切り替えると変な感じが発生する

普段、敬語/タメ語のどちらで話すのか?というのは、結構固定されたものになりがち。

片方が敬語、もう片方がタメ語、という感じになると、なんだか上下関係が発生するみたいで嫌な気がしますが、 敬語かタメ語かということだけで、人の上下が決まってしまうような不思議な効果について人々は無意識のうちに了解しているっぽい。 そして、人間関係においての上下関係はなかなか変化しないというのも、なんだか人々の無意識のなかで了解されているっぽい。

このような朱子学的な発想は実にくだらん、とも思うし、語尾だけで朱子学を実践できる日本語は多機能である、とも思う。

とにかくそのような事情があって、敬語とタメ語を切り替えると、なんだか関係性が変わったかのような気配をみなさまが無意識のうちに察知して、無意識のうちにムムッという顔をして、無意識のうちに不穏な気持ちになる。

ところで、僕はボケたいしツッコミたい

予想に反してこのパートは理屈っぽいので、飛ばしても良いぞ

僕は、というか人は皆そうだと思うのだけど、友達には好意的な関係を求めています。敵対したいとは思っていないと言うことね。

では、敵対とは何か?というと、利害関係においての方向の不一致であり、その状態にならないためには、利害関係にならなければ良い。 利害のある関係を全て拒絶するわけではない。お客さんも、仕事の仲間も、家族みたいなものも、生命を維持するために必要な、利害関係です。 が、この利害関係は、ふとした拍子に対立が生じて、最悪の場合、自分の生命を脅かす関係になりかねない。

利害のある関係は極力少なくして、友達とは、利害のなさそうな関係であることを常に確認し合うことが僕には必要なんです。 なので、ユーモアというものを非常に重要視します。これは、面白い人間だと思われたい、とかではないので、面白い必要はない。 とにかく、利害関係ではないということを確認するためのユーモアが僕と君にとっての酸素である。それが僕の生き方な訳ですね。

また、ふざけているだけで済ませられる関係のところを勝手に利害関係として扱ったり、利害のない関係は不愉快だ(つまり、ふざけているやつは不愉快だ)と叫び出す奴も、場合によっては敵対者になるわけです。

小難しい説明を書きましたが、僕がふざけているのはこのようなことを理論的に考案した上で日々実践している...とかではない。 今回、無意識無意識言いまくった関係で自分の無意識を見つめ直してみたらこんな話がでてきたけど、普段は何も考えずふざけています。 とにかく僕は、友達とは、ふざけていたいんですね。

飛ばした人はここからまた読んでくれ

敬語で使えるボケとツッコミは限られてしまう

大好きだった昔の職場の上司は、めちゃくちゃ頭脳派のマジレス人間で、10歳くらい年下の僕にも常に敬語だったんだけど、社内チャットで突然「草」って言い出したんですね。もう、それをやっちゃうと、違和感が一番に伝わっちゃうから、ユーモアという感じにならなかった。凍りついたというか、みんなが反応に困った。その上司については一周回ってそれも面白いですが、とにかく常に敬語だと、ユーモア用語に制限がかかってしまいます。

そう、敬語ですと、下品だったり、治安が悪いことが言えないわけですね。

それは逆に利用すれば、下品なユーモアや治安の悪いユーモアを身の回りから排除する手段になるかもしれない。 でも僕は、友達と話している間はずっと笑っていたいので、笑いに持っていく選択肢は多ければ多い方が良いと思う。

また一方で、普段タメ語の関係のところで、突然敬語を持ち出すと、ピリッとすることがありますね。 これも無意識中の関係性の変化をあえて利用した当てこすりがなされていそうだという感覚が人の無意識に働きかけてなんかいやだなあという気持ちにさせるものです。 が、まあこの切り替えも、ユーモアの範囲だったら基本的には、面白くなるか、滑るかしかないので、そんなに心配することはない。

友達とずっとふざけていたいと思ったら、タメ語同士の方が絶対的に便利だと思う訳です。

しかし敬語のよさはある

敬語だと、なんと方言が出ないそうです。

このことが非常に便利らしく、僕は別に方言で喋ろうが標準語で喋ろうが、つたわりゃあいいじゃねえか、と思うタイプだけども、方言を話す側としては伝わらない可能性が頭をよぎる怖さというものもあるだろうし、この辺りを無理して欲しいと思っていない。敬語で喋るだけで、育った土地の異なる人達とストレスなく会話できるんだったら、そっちの方が良いでしょう。

あと、喋り方がタラちゃんみたいで可愛いげになるとか、挙げ出せばキリがない良さがある訳ですね。デメリットは、朱子学儒教っぽさがどうしても付きまというということだけです。

だから別に、敬語で喋ってくる人に、タメ語になって欲しいとは思わない。

だからどっちでもいいぞ

僕はどちらかというと儒教なら孔子を支持したいタイプであり、人との関係性、そのあるべき姿については深く考えたいけども、朱子学のような思考停止フレームワークは絶対に使いたくないのであった。

朱子より孔子!という人を見かけたら、僕と同じタイプだと思われます。もし、そのような人と接するときは、敬語かタメ語かは、あんまり気にしなくて良いぞ!

なお...

ユーモアが嫌いだという人、ものによってはOKとかではなく、もう一切受け付けないんだ!という人は、帰ってくれ。僕も君を一切受け付けない。ものによってはOKという人とは、お互いの妥協点を探っていけるんだけど、全て俺に合わせろなんて態度の奴はもはやすでに敵対者なのである。

余談ですが、利害関係者でも、利害のない友達関係でもない、「知らん人」というものが、この世界の大多数を占めるわけです。友達関係は、敵対者になる可能性が低いことが保証されている。一方、知らない人は敵対する可能性がどのくらいか、よくわからない。この話は長くなりそうだから、ここまで。

ちなみにマイフェイバリットユーモアは、回文芸人であるレム色さんが言っていた「タピオカが顔ピタ」です。このくらいの感じがちょうどいいのだ。


*1:というか、高校1年生になった友達に、おれだけからしさんにタメ語だけど、いいのかな...って言われたので、改めて考えてみたのだった。ずっとタメ語でいてくれ!

*2:みんなが敬語で喋っている中で、突然、あれ?この二人の間ではタメ口だな?ってなると、なんかほら、下世話で怪しいエロス的な想像をするじゃないですか...