karashi39とはいったい

夢と希望と明日と正義を讃える

イラスト界隈にちょっとだけ触れて思ったこと

今回、ジャンルとわず、創作をしている人にとっては、とてもためになる話を書いている気がします。しかし当たり前すぎてどうでもいい主張をしているかもしれない。


ここ最近、とても厳しい感じになっていたが、多少元気な時はイラストを描く人達があつまる匿名コミュニティにちょくちょく顔を出して、絵をアップしたりなどしていた。

そこで見たものは

  • 人々の大半が、技術の高さこそ唯一無二の価値...という気持ちで過ごしている
  • なので画力マウントバトルに発展しやすい
  • 画力がなければ何を描こうがきたねえ花火という扱い
  • 絵柄という要素については、画力に含まれている

ということだった。

特にデッサンの崩れやら今時の価値観に沿った色ぬりの綺麗さというものは、写実系のものでなくても求められ、これは作曲をやっている人間にすると、どんな曲を書いたとしても音痴の一言で終了となってしまう悲しさが発生するような感じだ...と思っていた。

なので

当然、よく目にするお悩みというか愚痴、悪口、というもののパターンに

  • 画力をとにかく上げていきたい。自分の問題点はとにかく画力。動けないサイヤ人など必要ない。
  • 画力の高まりを見せているのに自分の絵は評価されず意味不明。俺はサイヤ人の王子なのに。
  • 画力が自分より下の他人の絵が評価される。おそらく馴れ合いとかそういう絵とは関係ないコミュ力による。くそったれぇ!

というものが見られた。

どうも納得がいかなかったけども、言語化されていなかったので、しばらく口を閉ざしていた。実際はバカみたいに開きっぱなしだったが。

僕はどちらかと言えば絵より音楽が好きな人なので

イラストというものは、まあそういうもんなのかな、餅は餅屋、とも思うが、気づいたことがありこのたび言語化に成功したので、記事にしようと思った次第です。

心に響く名作、心に響かない名作

たとえば、パッヘルベルのカノン。綺麗な曲だし、カノン進行というものもなにやら聞いたことがあるし、なんかすごいものなんだろう。

しかし、で?という感じになる。僕はですよ。僕は。

たとえば、モナリザ。僕はレオナルドが大好きなわけですが、モナリザだけはどうもわからん。超一流に上手い絵だけど、それのなにがいいの?ぼっきしないよ?

という感じになる。僕はですよ。僕は。

絵は、いろんな人が好きだけど、特にノーマンロックウェルが大好きだ。音楽は好きなものが多い...低機能社会不適合者なので、話題の最新とかは一切知らないけど、邦楽も洋楽もインストもクラシックも好きな曲がたくさんある。

オリジナルラブが大好きだし、洋楽はQueenだけでなく、HR/HMが特に好きなものが多い、しかしポップなのも好き、マイケルシェンカーみたいなインストも好き、クラシックは観測範囲的な事情で吹奏楽が結構好き...という感じですが、全部が全部ではない。同じジャンルならなんでもというわけではない。

好きな音楽は、表現がわかるか、そして共感するか

につきると思った。

邦楽は、歌詞がわかる。歌詞だけでなく、その世界を音楽で描いている。だからわかる。
洋楽も結構歌詞がわかる。実はフランス語も微妙にわかるので好き。イタリア語とかはわからないので、ああイタリアの曲だなあと思って終わり。
あまり知らないので、名前は出さないけど、ポップなやつは表現はわかるけどその世界観に共感することがないのでそこまで好きにならない。僕は筋肉美で女性を釣りに夏の江ノ島駅に海パンいっちょで降り立つ男ではない。 僕は戦うバディではないので、当然タイトなジーンズにねじ込むこともない。が、傷だらけであり、タイトな革パンは持っていないけど、僕という意思をねじ込むその気持ちは、わかる。 インストで言えば、マイケルシェンカーも、Captain Nemoだとか、Into the arenaだとか、有名どころばっかじゃんって言われるかもしれないけど、タイトルまんまの世界観が表現されていることがわかる。
Song of Sailor and Seaだって、ホルストの火星だって、表現されているものがわかる。天国と地獄は、おそらく僕がキリシタンじゃないから、思っている天国と地獄のイメージと違うんだろう、表現がわからない。だからハマらない。

アニメソングが結構好きになるのは、アニソンというものはアニメの世界観を描いているので、先に世界観への共感があり、それを数分の音楽で全て脳内再生してくれる音楽の力に、涙を流す。マジである。ジェイデッカーのOPを聞くたびに、ボロボロ涙を流すので、迂闊に人前であの曲を聴けない。

イラストの世界も、似たようなものなのではないか

と思った。

pixivのようなガチではない、匿名のイラストコミュニティでも、画力的な意味で上手い絵はたくさんある。版権もののイラストは、知っているやつは画力が高くなくても、反応してしまうし、好きだなって思う。知らないやつは上手くてもよくわからない。
オリジナルをやっている人はだいたい好きだけど、このキャラはなんなの?っていうのがわからなかったり、わかるけどこのキャラは好きになれない、ということがある。

画力が高いことは、仕事をする上では大事なのかもしれない。いつかイラストを仕事にしたい若い子たちが集まる場所だから、画力を、数ある価値の中で高い位置に置くのはわかる。仕事をくれる人は、きっと画力で判断する。 でも、エンドユーザ、つまり絵を見る人にしてみたら、画力が高いことは何も魅力にはなり得なくて、絵描き同士なら憧れるのかもしれないけど、残念ながら僕にはわからない。たぶん、大半の人が同じ感覚をもっているから、画力の上下に反響があまり比例しない。画力はあくまで、世界観を伝えるための手段でしかない。世界観、その魅力を伝えることが目的であり、そちらに反響が比例している。

もちろん文学的な、見る側の感覚に任せる余白を持たせる絵というものはある。それは許容力の高い、大きい器だと思う。でも、それは逆に言えば、見る側に甘えすぎている。画力で殴って、良さが読み取れないお前らはアホだ、という態度に他ならなくて、しかもそれが評価されないのはおかしいからダメ人間同士が傷の舐め合いをしている、馴れ合いだ、という思考回路では、永遠に人を感動させることはできない。僕もできていないので、本来偉そうなことは言えないのだけど、心に棚を持っている僕は言ってしまうことにした。高畑勲よりも宮崎駿という日本において、わからせる努力をしないことは、限りなく愚かとすら言えてしまう。

というわけで

画力を磨くのもいいですが、画力は手段でしかないので、目的を考えましょう。

エンジニアなんかやっていると、定性的な価値よりも定量的な価値の方が比較検討が容易なために優れていると考えがちですが、実際はそれは価値の優劣を決めるものではなくて、評価方法の優劣があるだけです。

優れた評価方法に沿って自分を高める戦略を取るのはクレバーな気はしますが、そこだけやってれば価値が高まるという考えは一切クレバーではない。価値の優劣が評価方法に依存するわけがない。むしろ評価が容易な価値に沿っての努力ばかりするのは、人の心を動かすようなジャンルで戦う人間のやることとしては、逃げ腰の姿勢とすら言えると思う。

なにより、客(金を出すわけではないが)というものは審査員ではないし、客に対して絵を発表する場所は競技場ではない。競技場でない場所では金メダルをとっただけでは誰も感動しない。

仕事で、すでに世界が存在するものに絵をつけるのならまだしも、オリジナルで、単発の絵で、伝える世界を何も考えずに画力の高さだけで戦おうというマッチョな思想は、そろそろ捨てた方がいい。

アオイホノオで、絵が下手なことを気にやみ、俺の絵は素人は騙せても絵を見る目がある人間は騙せないと嘆く主人公モユルに対し、憧れの女性トン子さんが言っていた、「素人が騙されればええやん?」というのは、つまりそういうことだと思う。オリンピックじゃないんだ。画力なんか騙しでいいので、素人がわかる価値で戦わなければいけない。人気商売ってそういうことでしょう。
博多大吉さんも、「いつまでお前は自分が一番面白いと思っているんだ?自分のやりたいことだけやって、他人の喜ぶことをしようとしない、だからお前はだめなんだ、芸人なんてやめてしまえ!」とお説教をしていた。人気商売ってそういうことでしょう。

芸術的な価値はもちろん存在するだろうから、いつかそれをわかる人が発掘して、評価してもらえるのかもしれない。死んだ後とかに。それを目指すのは構わないけど、価値をわかってくれる人がイマイマの今にいなくて評価されなくてこれはおかしい、自分より画力が下のくせに素人がわかる価値に迎合しているやつらは堕落したクソ、という考えの人は、自分が今いる戦場が人気商売の世界なのだということをわかっていないアホなのだ。

しかし偉そうなことを言いましたが

ぼくがそこで描いている絵はこんなやつです。
タイトルをつけるとしたら、「絵描きをディスるテンプレを学ぶベジータ」。
誤解されると嫌なので断りを書いておくけども、 これはこのテンプレにのっかってさあ絵描きどもをディスろうという絵ではなくて、テンプレにのかったようなディスをしてくるベジータは哀れなのだから、かわいそうと思いこそすれ、カカロットがそれを気にやむ必要はないのだ、というメッセージで描いています。
しかし、とにかくダメダメです。何がダメって、版権モノだし、ほぼ模写だし、デッサンはわからんし...っていうことではなく、イラスト以前の問題で、表現したいものが文字ばかりに頼って伝えられていることですね...こうなってはいかんぞ!
しかし心の棚というものはとにかく便利である。実績がなくても、実力がなくても、偉そうなことをいうことだけは自分を置く棚が心にあるので、言えてしまう。島本和彦先生、いつも棚をありがとうございます。

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