karashi39とはいったい

夢と希望と明日と正義を讃える

あんさあ、えんとり

はじめまして、からしです。

私は最近曲を作りまくっていて、月に10曲くらいのペースに到達しています。演奏も歌も下手なのですが、なんとか人に聞かせても恥ずかしくないような感じになってきたかなって思ってます。いつか聴いてね!

ところで、僕は音楽活動をちゃんとやったことがなくて、経歴でまともなのは高一の8ヶ月だけ所属してた吹奏楽部です。 その頃と前後して、今はなきケータイの着メロ作成機能で作曲を始めたのですが、高校を卒業する頃には一つの持論を持つようになってました。

「音楽は、誰でもできるし、作曲もそうで、できるかできないかという話でリスペクトを持つのはおかしい」 からし39

受け取り方によっては、音楽家をバカにしているということになるので、それが原因かはわかりませんが、大学の音楽サークルは入部を断られたという感じで音楽アウトロー人生がはじまりました。

まあなんか他人を否定することに必死の子供が集まる大学という場所でこういうことを言えば、そういう奴として扱われるのは当然な気がしますね。しかし、この話をすると8時間くらいかかるので一旦置いておきます。

さて、音楽理論の話でした。あと、歌詞の意味という話もちょっと触れようと思っています。

音楽理論

むずかしいですね。ぼくはさっぱりです。いちおうギターを弾くので基本はわかります。ドの次はレだけどその間にド#があるとかね。ただね、ドミナントとか、ドリアン助川とか、モンゴリアンチョップみたいな話をされると思考回路が停止します。カノン進行というのも実はよくわかってない。

あれって、科学に裏打ちされたノウハウだと思うんですよ。ぼくは一応理系の大学に行っていたので「音律と音階の科学 : ドレミ…はどのようにして生まれたか (ブルーバックス) 」という書籍が好きで、手元にないので今すぐ誰か僕に買い与えて欲しいんですが、音楽理論はあれの延長線上にあるようです。

あれを読むと、理論に則っているものは聴いててきっと心地よいのだということがわかりますし、実際そうなんですよね、たぶん。

歌詞というものは

音楽と一体で語られて欲しいですね。ツッタターでそういう話が流れていたのですが、歌詞、言葉の集合としてだけ捉えるやつがありますね。特に、素晴らしい歌詞を書く人の作品っていうのは、どういう意味だというのを解析しまくったブログがたくさん出てきたりします。

韻を踏むというのがあって、いまさらという感じで誰もそんな指摘はしないですけど、韻を踏んでいるの、良いですよね。ノウハウという感じがします。

あと、曲にハマった音の歌詞という話があって、曲を作って歌詞を書くようになると人によっては仮歌っていうのを書くようになるんですが、僕の仮歌は基本的にああ〜うう〜たしかに〜カモン!みたいな、適当なやつです。そういう仮歌の音のニュアンスって、体から出てきた、体が感じて心地よい響きなんだと思うんですよ。

この仮歌に深い意味を持たせて音的にも意味的にも良い歌詞にしていくのって大変なので、韻を踏んでみるくらいのノウハウをやるしか私はできないんですが、とにかく、体が感じて幸せなものを作るのって、ノウハウが少ないよなって思います。

ノウハウ化されていないものは、評価するのも結構むずかしくて、上に書いたような曲と一体化して発揮される歌詞という存在というより、頭だけで考えられる歌詞の意味というところにフォーカスがあたりがちな気がします。ただ、ものすごい歌詞を書く人の歌詞の意味とかってなると、現代国語センター試験という感じになりがちで、それはそれで難しかったりします。

ところで

インターネットが発達した昨今、おじさんになっても、中高生の意見というものに気軽に触れることができて便利なような危ないようななんですけど、僕は一つの偏見を持ったんですよ。

音楽は最終的に人が好きかどうかみたいなところがあり、とくに歌物はその色が強く、さらにとくに異性のボーカルを好きになるって、結構な割合でその人を異性として好きかどうかっていう感じが入ってくる気がする。*1

今回、この偏見の是非について議論を交わして酒を飲みたいわけではなく、音楽っていうのは自己表現が根底にあるから、そうなってしまうものだよね、っていう事が言いたいんですよ。

理論だけ100%で作られた曲

これは、僕が得意な極端化して考えるというやつなんですが、感性を取っ払って理論だけ100%で曲を作るっていうのは、ロボットがやる事ですよね。ちなみにちまたで流行りの機械学習というのが曲をつくるとしたら、理論で曲を作るのではなく良いものを混ぜ合わせたパクリの塊みたいになるものだと、ちょっとだけ機械学習エンジンを仕事で作っていた私が申しております。

理論100%の曲、たぶんそれは心地よい音楽が生まれると思うんですよ。かっこいい曲になると思う。ただ、これ機械が作りましたって言われた瞬間に、たぶん冷めるんですよ。すげえなってなるだけで、なんども聞きたいと思わないのではないか。演奏したいとか、歌いたいとかはなるかもしれないし、仕事でないのなら実装したいとか思ったりもするかもしれませんが...。言いたい事はわかりますかね。

機械を人として好きになるっていうのは、性癖の問題としては完全にマイノリティだと思うんですね。ボーカロイド黎明期に否定派が考えていたことにも、この想いがあったんだと思います。ただ、イマドキはボカロの歌の向こうにボカロPを感じるのがみんな当たり前にできるようになってきて、音楽を通して誰かを好きになると言う体験がボカロにも当然存在している事がわかっているから、いまボカロは音楽じゃないとか言っちゃう人はいない。

Don't feel, think...

「感じるな、考えろ」

って、ブルースリーだったら言わないと思うんですよ。 考えるのも、感じ方の一つですし、なんなら五感より高次元にあるものだと思うんですが、感じることをやめろって言われてしまうと、「 ちょっと(ちょっとではない)無理です退職させてください」 ってなります。

ぼくみたいにフラフラ適当に作詞作曲している人間にとって、「音楽理論の話ばかりをおしてくる人」「理論完璧もしくは音感が鋭くないとわからない話をしてくる人」「言葉遣いの汚いギャル」が3本の指に入る苦手リスナーです。

理論はですね、便利なんですよ。なにしろセンスがなくても、勉強すればできてしまう。C - F - G という順番だけ守っていれば明日から曲作りをはじめられそうですし、センスとかいう共通認識のしづらい、言語化しづらいところを超えてコミュニケーションする手段になる。素敵なことだと思います。でも僕は理論わからないので、共通認識のムラの外におかれちゃうんですよね。英語は世界共通語だからとか言われて英語で話しかけられても、僕喋れないし... っていう気持ちになることあるでしょ。

音感もね... 僕わかんないんですよ。細かい不協和音とかには気づかないです。そうなってくると理論的におかしいってアプローチで気づくしかなくて...無理... ってなるんですよ。

言葉遣いの汚いギャルは、私が傷つきやすいから嫌なのです。

体で感じる音楽

音楽っていうのは人間を体で感じる方法の一つだと私は思うのですね。 なにも聴覚だけじゃなくて、視覚で感じるビジュアル系というのも良いし、触覚で楽しむモッシュというのもあるし、低音をお腹で感じるコージーパウエルというのも良い。嗅覚と味覚がだいぶ難しいので、五感全部を使うのはちょっと無理がありそうですが... また、自分が歌う側になる、演奏する側になる、というのも、立派な体で感じる方法だと思います。カラオケは最高です。ぜひお店からスタンドマイクを借りて、踊りながら歌って欲しい。

五感は通常誰にでもある。OS Xに最初からPHPが入っているように、明日から始められるんですよ。非常に便利。言葉にするのが難しいとか、エラー処理が大変とかって障壁はありますが、めちゃくちゃ勉強して共通の便利な概念を覚えて理解するのって、誰にでもできることじゃないと思うんですよね。

そういう意味で、足切りをしないでほしい

だから、便利な共通語の話をするのもわかる人の間では楽しいですし、頭を使って歌詞の意味を語り合うのも楽しいひとときなんですけど、それをすることでわからない人の線引きをして欲しくないんですよ。

挫折を誘発するものは他にもある

ギターで言えば、あえて(あえてるわけではないんでしょうけど)難しいポジションでコードを説明したり、お金もないしそもそも音がまだよくわからない初心者に安いギターはクソとか言ったり、手が小さいから弦を押さえられないというまことしやかなデマとか本当によくなくて、デタラメなコードを並べたサイトとかもうほんと邪悪だし、どうして君たちは人を追い出そうとするんですか?という気持ちになるんです。そんなことしてると倒産しますよ。

一方で

そういう人がいるのかはわかりませんが、感性ゼロ、理論だけで曲を作るしかできない...という人に対しても、追い出すようなことを言いたくないから、理論とかクソみたいなことを言うのをみなさん控えているという現実があります。理論から入るやつに曲なんか作れねえよみたいな暴言は誰も吐きません。というかそれはもはや嘘だと思いますし...

理論はノウハウです。使えるなら使わない手はないと思う。なくて困りはしないけど、あって困るものでもないし、いいんじゃないですかね。 歌詞の意味オンリーの読み込みも、僕は酔っ払ってそういうブログを目にすると「しね!!!!!」とか言いだしてしまいがちですが、僕自身歌詞の意味を深く考えるの好きですし、自分の歌詞で全体を通してダブルミーニングにしたりしますが...

何が嫌かって言うとですね、音楽理論も歌詞の意味も、追い出し的な空気を感じさせる事があるんですよね。それがなければ、ただひたすら最高だと思います。学問最高。

追い出す人の心理は?

わからないですね。わからないことについて人はうがった見方をするもので、できる自分を守る、努力してきた自分を守る、これだけだとしか思えないんですよね。マウンティングっていうやつなのかなって思ってしまう。でも実際は、どうやって「こいよ!」って言えばいいのかがわかんないだけなのではないかと思います。

一方、僕と一緒にサークル入部を断られた友人は、非常に無責任に「プログラミングやったことないの?おまえならすぐプログラミングできるよ!とにかくやろうぜ!そうだこのコンピュータを買おうぜ!そしてやろうぜ!」というノリの人だったので、非常に気持ちが楽でした。

結局そいつも「お前もできる人になれ」っていうメッセージを発し続けている男ではあるんですが、仕事でもない限り「できないなら帰れ」「何もしないなら帰れ」という言葉は聞いた事がない。

英語は喋れたほうが絶対に良いし、音楽理論もわかったほうがきっと良いし、歌詞の意味だって深いところまでわかったらきっと楽しいんですが、「今はできないあなたもきっとできるようになる、なぜなら五感の段階では今のあなたはできている」というような方向に持っていきたい。少なくとも音楽の話はそういう感じにしていきたい。俺の大好きなOriginal LoveHR/HMをお前も好きになってほしい、CDは全部貸すよ!そう思っているのです。

ただな、ギャルは言葉遣いを覚えてくれ。頼む。

今日のサムネ画像

ぼくのへやからみえるふじさんです。

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あと、音楽も聴いてね!最近ではいちばんいいねがついた(2こですが)曲を貼っておきます。


このブログは僕の大好きな喝メタルさんのブログに触発されたアンサーエントリ的なものです。最初の一行「毎度どーも喝メタルです。」から最後の一行の「長いわ。」に到るまで激しい同意を覚えたと同時に、入部を断られたあの日から長いこと自分が思っていた事がこの記事とツッタカタターのタイムラインをきっかけにちょっと具体的になったので、思い切って文章でまとめてみようと思い立ちました。


追記)

公開してからまとめを書いていないことに気づいたので、まとめますとですね、音楽も作曲も本来誰にでもできることなんですよ。なんか天が与えた特殊な能力みたいに扱っちゃうと、できるできないの0/1で語られちゃうので、嫌なんですね。みんなできるから、その中で輝いている人が素晴らしいということになるわけで、無意識なのかもしれませんが「音楽は0/1、そして好み」という感じにしちゃうのは本当によくないと思っているということが言いたかった。

*1:同性の時は、なりたい自分とかかなって思ってます。