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karashi39とはいったい

夢と希望と明日と正義を讃える

チャットは居酒屋という話

ブログ IT

最初に断っておくと、本記事と似たような記事を書いている人がたくさんいそうなので、
言いたいことが想像できた人はタイトルだけ見て記事は読まないというスタイルで構いません。


昨夜のホークス戦を観ていたら、
ホークス・イーグルス共に(ピッチャー除く)全員喪章を肩につけて戦っていました。
何年後かにこの記事を読んだらなんのことやらってなりそうなので書いておくと、
前日の夜、熊本で死者が9名出る震災があったからです。

公の場に出てくるエンターテイナーというのは、こういう配慮を忘れてはいけません。
大切な人が死んで悲しい人の目に触れた時に、
単純に楽しませようというだけの姿勢はよくないということです。

で、夜Twitterを観ていたら、「不謹慎厨おもんないからほっとこ」というツイートがあったので、
その不謹慎厨がどんな不謹慎な人を批判しているのか知りませんが、
公共の場で不謹慎を批判する人を応援している人がいることにショックを受けました。

そこで、日本人に良心はないという趣旨の引用RTをしたら、
筋が通っていないという指摘をされたので、自分の意見を明らかにしようと思った次第です。


まず言っておきますが、私は不謹慎な発言を否定しません。
誰が何考えていても自由でしょ。
人の不幸を肴に酒をのんだっていいじゃない。
そう思ってます。

ただ、場所を選んでくれ。


なにやら最近は、学校でパソコンやインターネットの授業があるようです。
情報化社会もこれだけ進んだのですから、当然ですね。
しかし、おそらく私の思っていることは教えられていない、
もしくは生徒たちの心に残る教え方をされていないと思いました。

「基本的には」、インターネットというのは公共の場です。
これは多分学校で教えられていることだと思います。(裏は取っていない)
じゃあ、どういうところが公共なのかというと、

インターネット環境を持つ人、つまりほとんどの人が、その情報に触れられる
情報に触れるための条件はそれだけです。
そして記録がほぼ永続的に残ります。
サービスが終了しても、魚拓的なものが残ったりします。


今回は具体的に、地震災害という事件があり、被災者が大勢いると想定しています。
風の噂によると、もう20年くらい昔の阪神淡路大震災の被害者でさえ、
今でも地震のことを思い出すと大変つらい気持ちになるそうです。
単純に思い出すだけでつらいんだから、
おもしろおかしくされてたら、そうとうつらいでしょうね。

そういう前提があって、さらにインターネットは公共の場という前提も重なると、
「震災で老人死んだぜざまぁ」みたいな発言があったとして、
それを見た被災者の方はどういう気持ちになるでしょうか。
たとえ時間が経過しても、心の傷は癒えていない可能性が高い。
想像力のない人はこの記事をそっ閉じしてください。


では、なぜそういった公共の場で、不謹慎なおもしろがり発言がでてくるのか。
これは色々な要因があるでしょうが、大きいものは二つでしょう。

  • その人たちは、少しくらい人を傷つけても、もっと多くの人を笑わせたい
  • その人たちは、ネットが公共の場だと知っていても、納得はしていない


まず、多くの人を笑わせたいという要因ですが、
これはまことに結構な話です。
どうして結構なのかは、「これからの正義の話をしよう」とかでも読んで勉強してください。

説明が雑なのは、この要因はこの記事の趣旨ではないからですが、
例をあげると、芸能人をいじって笑いを取る芸能人っていますよね。
彼らは、テレビの中では嫌がられているように見えますが、むしろ感謝されているようです。
人の弱点を笑いに変えるという行為に対しては、寛容であっていいと思います。
テレビは公共の場なので、もちろん不謹慎なおもしろは許されませんが。
弱みと傷の区別をつけてくださいというお話ですね。

また、居酒屋とかも公共の場ですが、基本周りがうるさくて別席の話は聞こえないので、
居酒屋は情報社会的観点から見れば公共の場とは言えないでしょう。
だから、居酒屋で不謹慎なことを言って楽しむのは別にいいと思います。
大声で騒いだりしなければですが。

で、ここからが本題。

二つ目に挙げた要因、インターネットが公共の場だと納得いかないのは、
先に挙げた公共の場の条件を満たさないインターネットがあるからです。
下記に例を挙げます。

  • メール
  • LINE
  • Skype
  • その他のチャット
  • 電話(インターネットになりつつある)

こういうツールは、公共性がありません。
そして人々は、こうしたインターネットを頻繁に利用している。
LINEで、「からし39ぶっ殺す」と発言しても、基本的には逮捕されないでしょう。
なぜならLINEでの会話は、当事者しか閲覧できないからです。
(たまになぜか卒業論文に関するLINEがテレビで公開されたりしますが)

現実世界の人との交流は、こうした閉鎖的インターネットで行われています。
現実でのやりとりがインターネットで、
現実じゃない人とのやりとりもインターネットということになると、
想像力のない人はこの境界線がわからなくなります。


でも、考えてみてください。
2chで、「からし39ぶっ殺す」って書いたら、どうなりますか?
私のHNは個人情報とひも付けられて公開されているので、殺害予告に該当しそうです。
本名とかを使って発言したら、さらに逮捕される可能性は高まるでしょう。
私が通報しなくても、これはいかんと思った人が通報して、管理人が動きます。
当事者同士限定のやりとりでなくなってしまうのも、公共であるが故です。

匿名であっても、掲示板やTwitter、ブログなどは公共の場です。
Twitterに関しては鍵をつければいいという話もあります。
ブログは友達のみに公開にすればいいという話もあります。
しかしそれらは公共性を完全にシャットアウトできる機能として実装されていません。

少し考えれば分かる話ですよね。
公共の場であるインターネットでは、やってはいけないことがある。
でも、インターネットの公共性を知っていても納得していない人は、
公共の場で不謹慎なやりとりを繰り広げます。

全部教育が悪い

という乱暴な結論になります。
「インターネットは公共の場です」ってだけ教えるのでは、
納得しない人が出てくるのは当然です。
なぜ公共なのか、公共とは何か、公共の場で何をするとどうなるのか、
ちゃんと教えている情報科の先生はいるのでしょうか?

事実、公共の場でないインターネットが存在する。
だから、「インターネットは公共です」という一方的な説明には納得がいかない。
公共じゃないインターネットをメインに使っていて、
その延長線上にある公共のインターネットも同様に感じてしまうのは仕方がない。
本当は、「公共のインターネットと公共でないものがある」と説明すべきです。

唐突な結論

というわけで、インターネットの公共・非公共という区別を付けてもらったところで、
チャットの話をします。

チャットは、現実世界で出会うはずがない人と出会える場所です。
しかもなにやら、ログとかが過去にさかのぼって見れるようなものが少ないらしい。
そいういう場合、そのチャットサービスは公共性を失っていると言えるでしょう。
非現実の人とわいわいおもしろ不謹慎トークをするにはもってこいの場所です。

もちろん、いつのログでも誰でも見れるチャットは公共の場ですよ。


というわけで、他人の不幸で飯ウマしたい人、チャットでお会いしましょう。